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東アジアの安全保障と日米同盟

東アジアの安全保障と日米同盟 -沖縄とのかかわり-  (文責:上杉勇司)


講師:村田晃嗣氏 / Koji Murata   同志社大学助教授


 平成13年7月18日に、米国の外交政策や日米安全保障問題の専門家である村田晃嗣同志社大学助教授を招聘して、「東アジアの安全保障と日米同盟―沖縄とのかかわりー」と題する講演会を開催した。聴衆には、沖縄経済同友会の基地・安全保障問題委員会のメンバーを中心に、県内で安全保障問題に関心の高い人々が集まった。以下に講演の内容を要約する。

 日米安全保障条約では、米国が日本を防衛する義務があるのに対して、日本は米国を防衛する義務はない。そこで、この片務的性格が強い同条約を、より相互性のあるものにする仕掛けとして、日米同盟は「ヒトとモノとの協力である」という見解を日米双方は共有してきた。「ヒト」とは在日米軍を指し、「モノ」とは在日米軍基地を指す。つまり、米国は米軍を提供し、日本は基地を提供することで日米安全保障条約の相互性は維持されるとするのである。日本側に課せられた「基地の提供」という義務には、次の2つの付随する了解事項があった。まず、在日米軍基地が攻撃を受けた場合には、日米が共同で対処するということ。そして在日米軍基地は、日本の防衛のためだけでなく、広く東アジアの平和と安全のために使用することができるということ。しかしながら、沖縄への在日米軍基地の集中に伴い、沖縄では在日米軍基地の整理縮小の要求が高まっている。ひとたび朝鮮有事になれば、5日で5万人の米兵の命が失われると推定されているように、米国による「ヒト」の提供は、多大な負担を伴うものである。一方、沖縄は過去50年にわたり米軍基地が存在することより派生する様々な問題に悩まされてきた。有事の5日間と平時の50年間を比較してどちらの方がより重い負担を強いられているのかを議論することは難しい。このような異なる性質の負担によって支えられている日米同盟は脆弱性をはらんでいる。日本による「基地の提供」が日米同盟の根幹を支えている現状において、在日米軍基地の整理縮小を進めていくためには、日米同盟は「ヒトとモノとの協力」から「ヒトもモノもの協力」へと変容する必要がある。つまり、日米の双方が同質の貢献を同盟に対して行うことが重要になってくる。この文脈で新ガイドラインの改定や周辺事態法の制定の動きをとらえると、これらは「基地の提供」以外の日本側の貢献を模索した結果なのであり、在日米軍基地の整理縮小の要求と呼応していることが理解できる。

 以上の論点の他に、沖縄の被害者意識の問題、地位 協定の改定の問題、普天間代替施設の15年使用期限問題について、村田氏は次のように主張した。


沖縄の被害者意識の問題

 在日米軍施設の75%が沖縄に集中している事実、そして東アジアの安全保障が沖縄の負担に大きく依存している現実について、本土の人々は無知であり、無関心でありすぎた。だから、沖縄を本土との関係でとらえれば、沖縄は「被害者」であるといえよう。しかし、沖縄は間違いなく日本の一部であり、戦前日本の朝鮮半島や台湾の植民地支配に対する責任が、日本人一般と沖縄とでは別であるとする理屈は通用しない。つまり、沖縄を含む日本人が「加害者」であり、我々は朝鮮半島の分断化や中台の対立について少なからず歴史的責任を負っている。とりわけ、朝鮮半島に関しては、国が二分され、今なお沖縄をはるかに凌ぐ軍事的緊張のもとに朝鮮半島の人々が晒されている現実を認識する必要がある。つまり、ある局面で被害者である人物は、別の局面では加害者でありうる。沖縄はそういう二重性に対する感受性を持つ必要があるのではないか。


地位協定の改定の問題

 1995年の米兵による少女暴行事件の後に、地位協定の好意的な運用を約束しておきながら、次に類似の事件 が発生した場合に備えて、弁護士や通 訳の立会いの是非など、運用の改善について実務レベルで細部を詰めていなかったことは、日米両政府の大きなミスである。とはいえ、地位協定の改定自体が政 治目的になることは賢明ではない。地位協定改定の本来の目的は、米側の対応を改善することであり、内実さえ伴っていれば何も条文の変更を強いる必要はな い。これに関連して、容疑者の起訴前の身柄拘束についてコメントしよう。この問題は、日米が大きくもめなくてはならないような問題ではない。なぜならば、 米軍が容疑者の身柄を確実に拘束する手立てさえ整えれば、日本側が容疑者の身柄を起訴前に拘束するか、否かの問題は、実は容疑者が拘置所で寝るか、基地内 の宿舎で寝るか、の違いでしかないからだ。


普天間代替施設の15年使用期限問題

 数字が政治に使われた時、良い結果を生んだためしはない。よって、普天間代替施設に対して15年の使用期限 をつけることは賢明ではない。しかもタイミングが悪すぎる。米国は現在、米軍のプレゼンスについて大幅な見直しを行っている最中である。米軍の世界戦略が 定まっていないのに、沖縄だけを特別扱いして、「15年の使用期限」を約束できるはずがない。この問題は、沖縄のローカルな政治のレベルだけでなく、日本 全体の政治レベル、米国の政治レベル、それから国際戦略環境など考慮して検討しなくてはならない。すなわち、安全保障を考える上で何よりも大切なことは、 柔軟性を維持しつつ、複眼的な視点を持つことなのである。世界貿易センタービルを襲った「米国テロ事件」に関連して、日本の対応が検討されている。そこで の議論は、まさに村田氏が指摘した「ヒトもモノもの協力」の方向へと収束しつつある。一方、在日米軍はテロに対する報復の準備を進めているが、米国がアフ ガニスタンで軍事作戦を展開する上で、中継拠点としての在日米軍基地の存在は極めて重要である。村田氏が主張するように、沖縄が抱える基地問題の解決方法 を考える際に、金網の中から派生することだけに目をとらわれるのではなく、沖縄を取り巻く様々なレベルでの出来事も同時に視野に入れることが必須であると いうことが、この一件からも理解できよう。