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多国間合同軍事演習視察報告

多国間合同軍事訓練(コブラ・ゴールド03)視察報告


OPAC 事務局長・主任研究員 上杉勇司


はじめに

 昨年に引き続き、今年も、タイが米国やシンガポールと共同で毎年実施している多国間合同軍事訓練「コブラ・ゴールド03」を視察した。そもそも軍事訓練というものは、軍隊が与えられた任務を遂行する能力を維持するために実施するのであって、コブラ・ゴールドの訓練内容は、米軍に課せられた任務を色濃く反映している。したがって、今回の訓練視察を通じて米国の軍事戦略の変化や米軍が重視している新たな任務について肌で学び取ることができた。以下で、「コブラ・ゴールド03」の概要を説明するとともに、訓練の重要なテーマであった「民軍協力」について、訓練中に直面した問題点を提示しながら、今後の課題を議論する。


コブラ・ゴールドの概要

 コブラ・ゴールドとは、東南アジアでは最大規模の多国間軍事訓練である[1]。1982年にタイと米国による二国間軍事訓練として始まり、毎年実施していたが、2000年からシンガポールが正式なメンバーに加わっている。今年で22回目を迎えたコブラ・ゴールドであるが、当初は伝統的な脅威に対するタイ軍と米軍による共同対処を想定した戦闘訓練が中心であった。しかし、冷戦が終結し、米国のアジア太平洋戦略に変化が見られるようになると、純粋な軍事訓練の場ではなく、多国間軍事協力や信頼醸成の場としての位置付けがなされるようになってきた。
 このため、近年では訓練の内容が大幅に変化し、平和活動[2]、人道支援活動、非戦闘員の救出活動などが加えられた。また、コブラ・ゴールドを企画している米軍太平洋司令部によれば、戦域安全保障協力政策の一環として、中国やベトナムを含むアジア太平洋地域の国々からオブザーバー参加を認め、関係各国の信頼醸成に努めている[3]
  コブラ・ゴールド03のテーマは「国連決議に基づく戦争以外の軍事作戦(military operations other than war under UN mandate)」とされ、平和強制行動、反テロ活動、非戦闘員の救出活動、人道支援活動における3カ国合同軍の相互運用性の向上を目的としていた。訓練構成は、指揮所訓練、人道支援活動、野外訓練の3つに分けられていた[4]。実際に視察したものは指揮所訓練のみであり、その意味で以下の議論や評価はコブラ・ゴールド全体のものではなく、指揮所訓練に関するものである。


平和活動や人道支援における民軍協力

 昨年に引き続き、今年のコブラ・ゴールドにおけるハイライトは、民軍協力(Civil-Military Cooperation)であった。民軍協力とは、平和活動や人道支援の現場において文民機関(国連機関やNGOなど)と軍隊とが共通のあるいは各々の目的を達成するために連携や調整を行うことを指す。今日の平和活動では、その任務の多様化により、軍隊だけでなく国連機関、文民警察、NGOなどが協力しながら人道支援や平和構築にあたるケースが増え、文民機関と軍隊との連携を不可避としている。軍隊は停戦の維持、安全の確保、緊急援助物資の輸送といった活動には適しているが、和解の促進、社会制度の再構築、民主化と法整備といった平和構築に関する活動には不向きである。このような活動は文民機関が担うべきことであり、軍隊の早期帰還を実現するためには、文民機関が平和構築を効果的に行い緊急援助の段階から復興・開発の段階へと速やかに進展させることが不可欠である。一方、文民機関にとって効果的な支援活動を展開するためには、治安状況の改善や秩序の回復が必要であり、軍隊が停戦維持や安全確保に失敗すれば、必要としている人々へ援助物資を届けることすらできなくなる。
 しかし、基本的に文民機関と軍隊とは、異なる組織文化を持ち、活動理念や意思決定の方式なども異なっている。両者のマインド設定の違いを如実に表したものに「敵」という表現がある。軍隊にとって、自らの軍事目標の達成を阻む障害は「敵」であり、「敵」を排除することで、目標を達成しようとする。一方、NGOなどの文民機関の多くにとって、敵は暴力であって、人道援助の中立性を保つためにも、交渉によって暴力を放棄させることに腐心するが、紛争当事国を「敵」として排除することは避ける。このように、NGOと軍隊との間には、行動原則から矛盾することが多いうえに、相互理解が乏しいため、しばしば両者の間では摩擦が生じる[5]。しかしながら、複雑で困難な人道支援の現実を直視した専門家から、両者の連携や協力の必要性が指摘されるようになった。そして、文民サイドと軍隊サイドとの間の連携や協力関係を促進させるための仕掛けとして民軍協力センター(CIMIC)、民軍作戦センター(CMOC)、民軍調整センター(CMCC)などが、軍隊の組織の中に設けられるようになった[6]


指揮所訓練の概要

 今回の指揮所訓練の具体的な目標は、タイ・米・シンガポール合同軍司令部が文民機関と密接な政策調整と連携を図ることであり、連携の調整役としてのCMOCの技量向上に訓練の主眼が置かれた。さらに、CMOCに対して民軍協力の政策を決定し指示する機関として民軍調整部会(CMCB)での調整や意思決定のプロセスも重視された。CMOCは、合同軍司令部を補佐する幕僚の中でも、民事を取り扱うC7の傘下に置かれており、他方CMCBは幕僚機構からは独立し司令官直属の部署として位置付けられていた[7]
 実際に、指揮所訓練ではロール・プレーイングという手法を用いて、架空のシナリオではあるが、具体的な事例に基づいて調整、連携、意思決定といったことが訓練されていった。より実践的でリアルな訓練にするために、文民機関サイドとして、国連事務総長特別代表、国連難民高等弁務官事務所、国連人道問題調整事務所、世界食糧計画、国際赤十字委員会(ICRC)、国際NGOの役には、実際にそれらの機関に属して人道支援活動に従事している者や経験者が招聘されていた[8]
 昨年に引き続き指揮所訓練に参加していたICRCのマグネ・バース氏(Magne Barth)によれば、「紛争地域でのICRCの安全と中立性を保つためには、軍隊と一体視される事を避ける必要があるが、同時に軍の協力なしには任務を遂行できない場合がある。事前の調整や訓練もなしに混乱している現場で効果的に協力することは難しい。今回のような訓練を通して、互いに意思の疎通を図り、中立性を重んじるICRCの活動指針を正確に理解してもらうことは、現場で役に立つ」と主張する。さらに、今回の指揮所訓練の企画構成に携わったセンター・オブ・エクセレンスのピーター・リンチ氏(Peter Leentjes)によれば、NGOの人道支援における考え方や行動様式を、今回の訓練を通じて軍隊側に認識させることができるし、NGO側も軍隊側の意思決定や行動様式を学ぶ機会となり「相互に益するところ大である」としている。




訓練を通じて露呈した問題点や課題

 問題点や課題を指摘する前に、昨年と比べて飛躍的に改善された点についてまず指摘する。昨年の訓練では、軍事作戦を優先する司令部や幕僚からは人道支援の論理は軽視されていた。さらに、文民機関との調整を実際に担当するCMOCと合同軍司令部との連携が極めて悪かったため、文民機関側の意向や要請がCMOCを通じて合同軍司令部にタイムリーに取り次がれる事がなかった。さらに、CMOCの行動指針とも言うべき政策を提示するCMCBが、昨年の訓練では機能不全に陥っていたため、文民機関のトップと合同軍司令部との連携は極めて限定的であった。例えば、国連安保理決議で定められた多国籍軍から国連平和維持活動への移行計画について、国連事務総長特別代表と調整することなく合同軍司令部が独自に策定していた。昨年の訓練の企画・構成と実施後の評価を担当したリンチ氏は「昨年の訓練は、今まで実施した訓練の中で、最も民軍連携の重要性が将兵の間で認識されていないものであった」と痛烈に批判していた。
 しかし、今回の訓練では「軍事優先で人道援助は二の次」といった感覚は将兵から消えうせ、両者は同時に進められるべきものであるといった認識がCMOCと合同軍司令部に共有されていた[9]。合同軍司令部と文民機関のトップは、限られた期間内に健全な関係を構築することができた。合同軍が新たな作戦を展開する際には、国連事務総長特別代表のもとへ事前通告が入るようになった[10]。さらに国連事務総長特別代表のオフィスに合同軍から連些細なことではあるが、両者が同一の地図を使っていない点、難民キャンプの呼び方を統一していない点などは、実際の連携を不必要に鈍らせた。例えば、NGOから合同軍へある特定の難民キャンプにいる負傷者の緊急輸送の要請が入った。NGOは現地の最寄りの地名でキャンプ名を呼んでいたが、合同軍ではキャンプ1、2のように記号化しており、場所の特定ができなかった。そこで、衛星写真に基づき作られた極めて精緻な地図を利用している合同軍は、NGOに対して、場所を確認するために難民キャンプの座標を緯度経度で示すように要求した。だがNGOは、目印になる建物のみが記された手書きの地図を使っているためその要求には応えられなかった。このあと場所を特定するために、さらに貴重な時間が費やされることになった。これは、軍隊が利用している地図を作戦領域で活動するNGOへ配布して同一の地図を利用することを促したり、事前に難民キャンプの呼称を統一したりすることで、簡単に防ぐことができる混乱である。
 さらに、組織上の不備も明らかになった。例えば、CMCBにおいて決定された政策に基づき、CMOCで実際に文民機関と調整を行い、その結果を踏まえてC3(運用)で作戦が練られるのであるが、これらをつなぐ明確な機構や行動が欠けていた。民軍協力を軍事作戦策定に効果的に盛り込む仕組みや工夫が必要である。また、C5(外交・計画)において、将来の作戦(future operations)が策定されることになっていたが、合同軍にとっての将来とは明日(24時間~48時間)のことであり、数ヶ月先を見据えて紛争後の将来像を検討する文民機関との間でフレームワークの違いに戸惑っていた。CMOC、C3、C5などの民軍協力に関連する機関は、いずれも日々の調整業務に追われ、いざ軍事作戦が開始されれば、作戦関連の調整で忙殺され、文民機関との戦略的な調整を行う余裕がなくなってしまう。軍事作戦とは別に、中長期視点に立って紛争後の復興について民軍調整を行う機関を、軍事組織内に作ることが必要であると感じた。
 これに関連することであるが、軍隊サイドには、中長期的な視座から、紛争解決や平和構築といったものを検討する者もいなく、今回の軍事的な成果をどのように、政治的解決や平和な社会の構築へ繋げていくのか、といった視点も欠けていた[11]。例えば、今回のC5では、合同軍から国連平和維持軍へ移行プロセスについては検討していたが、対立している紛争当事国間の政治的解決に関しては一切関与していなかった。もちろん、長期的な平和構築支援は軍隊の仕事ではないし、和解や社会システムの再構築といった分野は、軍隊の得意とする領域ではない。しかし、復興期に入ってバトンタッチする相手である文民機関と、中長期的な視点から意見交換をすることを怠れば、人道援助から復興へのプロセスが断絶してしまう恐れがある。
 加えて法的な問題を指摘すれば、国境を越えて保護を求めている難民と越境していない国内避難民とでは、その保護に責任を持つものも、その法的根拠も異なる。しかし、国境付近で活動する部隊にとってはどちらでも作戦の遂行に邪魔になる存在としか映らない。本国に戻されては身の危険を感じるために難民となった人々を強引に「安全地帯」が作られた本国へ連れ戻したり、戦火を逃れて国内を避難した人々に、越境を促して「敵」が支配している地域に送り込んでしまったり、人道的問題に発展するものも多かった。



提言

 イラク復興についても同様のことが言えるが、強制力を伴った軍事的介入が不可避となってしまった場合には、戦闘に入る前から、戦闘後の段階の民軍協力や連携について調整を開始することが重要である。CMOCのような担当部門を強化するだけでなく、日々の業務からは開放され、ある程度戦略的に、中長期的な視点で、数ヶ月先を見据えて民軍協力を展開する機関を創設することが必要であろう。特に、軍事、政治、人道の3つの部門の連携を重視する。例えば、中長期的な視野に立って、戦後復興や平和構築を考えた場合に、多国籍軍や米軍による戦後復興期の軍政を速やかに終了させ、国連による暫定統治に引き継ぎ、できるかぎり早期に紛争当事国による統治を実現することが必要である。復興初期の混乱期において治安の維持や秩序の回復といった活動で軍隊が果たす役割は大きいが、平和で安定した社会を築くためには、緊急援助の段階から抜け出し、公正な社会造りが始められなくてはならない。それには政治的解決が不可欠であり、社会造りにおける国際機関やNGOの支援も大切になる。そして、このような平和構築に向けた作業が遅延すれば、軍隊の早期帰還はままならないのであり、民軍協力は日常業務レベルの調整に止まることなく、政策レベル、作戦策定レベル、戦略レベルなどより高次な次元でも重視されるべきである。

 最後に、米軍は今後ますます多国間軍事訓練を重視していくであろうし、今後ますます多くの国がコブラ・ゴールドに実質的に参加するようになるだろう。NATOのような地域的安全保障機構がないアジア太平洋地域において、国連主導の紛争解決が実現しない場合には、コブラ・ゴールド型の多国間による共同対処が望まれることが容易に想像できる。人道援助の現場の状況が変化し、そこでの文民機関と軍隊との関係が変わりつつある。このような現実の変化を受けて、軍事訓練も、従来の戦闘訓練から、域内協力や信頼醸成といったことに力点がシフトしてきている。武力行使以外の方策が尽きた場合で、かつ軍事的介入によって人道的危機に瀕した無辜の人々を救うことができることが明らかな場合は、軍隊による武力行使が容認されるケースが増えてきている。その際に軍隊による活動を少しでも人道的なアプローチに近づけ、無辜の人々に爆弾を落とすといった本末転倒が起こらないようにするためにも、事前の訓練を通じて軍隊の行動を点検し、改善を促していくことは大切である。

[1] 今回の訓練には、米軍7,359名、タイ軍5,612名、シンガポール軍86名、計13,057名が参加した。

[2] 平和活動とはpeace operationのことであるが、これは、国連による平和維持活動や国連憲章の第7章に基づく平和強制行動、国連安全保障理事会決議によって召集された多国籍軍などに活動を包括する概念である。

[3] イラク戦争が勃発した関係で、今年より正式参加を予定していたマレーシアが参加を取り止め、オブザーバー参加国も減少した。昨年は18カ国(オーストラリア、バングラディッシュ、ブルネイ、カンボジア、中国、フィジー、フランス、インド、インドネシア、日本、韓国、マレーシア、モンゴル、フィリピン、ロシア、スリランカ、トンガ、ベトナム)がオブザーバー参加したが、今年のオブザーバー参加国は半数の9カ国(オーストラリア、中国、インド、日本、モンゴル、パキスタン、フィリピン、スリランカ、ベトナム)に止まった。

[4] 指揮所訓練は、司令部要員や幕僚を対象としたもので、実際に野外で部隊を動かすことはなく、コンピュータ・シミュレーションを使い仮想空間において部隊移動がなされた。人道支援活動は、訓練ではなく、タイの農村部などで実際に医療支援を行うものであった。野外訓練は、我々が軍事訓練と聞いて通常想像するもので、実際に部隊を使った野外での活動である。

[5] NGOの中には全ての軍隊を否定し、軍隊と意思の疎通を図ることさえも拒む団体がある。他方、軍隊に中には、NGOを規律を守らない社会不適合者の集団として軽視する者がいる。

[6] 民軍協力センターが初めて国連平和維持活動内に設置された事例は、1992年の国連ソマリア活動である。

[7] CはCombinedの頭文字をとって「合同」を意味し、ここでは、タイ・米・シンガポール合同軍ということ。ちなみにC1は人事、C2は諜報、C3は運用、C4は兵站、C5は政策・計画、C6は通信、C7は民事とされていた。今回の指揮所訓練において米軍からC7に配属されていた将兵は、全て陸軍所属であり、海兵隊から参加している者はいなかった。CMOCの責任者であるベンコ(Benko)米陸軍大佐に事情を聞いたところ、海兵隊には民事担当の大隊が2つあるが(いずれも予備役)、現在2大隊ともイラクに派遣されているため、訓練には陸軍のみからの参加になったとしている。今回の訓練では合同軍司令官がタイ海軍中将であり、副司令官が米海兵隊中将であったが、CMOCは米陸軍中心に構成され、陸軍と海兵隊との壁に阻まれ、円滑かつ迅速な意思の疎通が不十分であった点が指摘できる。人道援助における民軍協力は極めて重要な課題であるため、今後はCMOC責任者の司令官への自由かつ無制限なアクセスを確保するとともに、司令官が海兵隊である場合には、海兵隊員をC7、CMOC、CMCBの要職に就け、組織的に支援する体制を作る必要があるだろう。

[8] 国連平和活動における民軍協力に関する専門家である筆者の場合は、指揮所訓練を視察するといった目的があったが、訓練中に行動の自由が制限されるオブザーバーとして外部から評価するよりも、ロール・プレーヤー(軍人を指導する立場)として参加した方が、より詳細で正確な情報を集められると判断したため、国連事務総長特別代表補佐官を担当し、「参加型調査」を実施した。

[9] この点については、合同軍副司令官であり、訓練中の実質的指揮を取っていたグレグソン第3海兵遠征軍中将が、民軍協力の重要性を正確に認識して、民軍協力の方針を明確に示すとともに、民軍協力を重視することを部下に対して徹底していたことの影響が大きい。実際に、グレグソン中将と接する機会があったロールプレーヤーは総じて、グレグソン中将の見識の高さを評価していた。

[10] 実際に旧ユーゴスラビアの国連平和維持活動において国連事務総長副代表を務めたデリック・ブースビー氏(Derek Boothby)は、「現場で人道援助活動に従事するスタッフの生命を預かる国連事務総長特別代表の立場からすれば、事前通告ではなく事前協議が必要であった。軍事作戦に参加する将兵の安全のために、作戦計画は機密事項扱いになることは止むを得ないが、作戦の全貌を認識することなく効果的な対応策を検討することは不可能であるので、合同軍司令部は国連側を信頼し、情報共有をすべきであった」と主張している。

[11] 同趣旨の批判は、人道援助団体に対しても言える。人道援助の現場で活動する多様な文民機関は、共通の政策を持っていないため、人道的危機への場当たり的な対応に追われているのが実情である。どのような社会にするのかといった平和構築に向けた共通のヴィジョンや政策を持って、復興に臨むようにしないと、軍隊サイドとの調整に問題が生じるであろうし、文民機関内での連携に関しても齟齬が生じるであろう。